政府は、国民の安全、健康、公民権、そして公立学校について大きな責任があります。けれども、思いやりは確かに政府の仕事ではありますが、政府だけの仕事ではないのです。 必要とするものや痛みがあまりに多いため、師がそっと触れてくれたり、牧師が祈ってくれたりすることにしか反応できない人もいるでしょう。教会や慈善施設、シナゴーグやモスクは、われわれのコミュニティに慈悲の心を与え、われわれの計画や法の中でも敬意を表する位置をしめるでしょう。 われわれの国には、貧困の苦しみを知らない多くの人がいます。しかしわれわれは貧困に苦しむ人の声に耳を傾けることはできます。 私はわれわれの国が目的に向かって、まい進することを誓います。傷ついた旅人がジェリコに向かうのを見るときに、われわれはただ道のわきに寄るようなことはしません。 アメリカは本来、個人の責任が重んじられ、また求められるところです。自己責任を奨励することは、スケープゴート探しではありません、良心への呼びかけです。自己犠牲が必要となりますが、それはより達成感を増すことにもつながります。われわれは人生の達成感を、自身でえらぶものの中だけではなく、約束したことの中にも見出すことができるのです。子供たちやコミュニティこそが、われわれを自由にする約束だということがわかるでしょう。 われわれの公共の利益は、個々の人格、市民としての義務、家族の絆、欠かせない公正さ、そしてたたえられることのない無数の礼儀正しい行為にかかっているのです。またそういう行為こそがわれわれを自由に導くのです。
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