* * * * * * * * * * * * * * * * * このお話は、もう世界中で読まれていて、まあありとあらゆることばにほんやくされているんだ。日本でもずいぶんむかしからほんやくはある。みじかいし、好きな人もたくさんいるのでまあ、うまいの、へたなの、どうしようもないの、といっぱいある。 ぼくがこれを訳したのは、やっぱり日本で何人目かのアリス訳者になりたかったからだな。いまある訳がそんなに悪いわけじゃない。なかには、アリスをいまの女の子ちっくにしようとしすぎて、がらの悪いスケバン(ふるいね)まがいにしちゃった訳とか、ことばあそびにこだわりすぎて、なんだかとってもわざとらしい、ふしぜんなものにしてしまった訳(柳瀬尚紀の、漢字だらけのおっかないほんやくとかね)もあるけれど、高橋康也の訳とか、矢川澄子の訳とかは、わるくはない。でも、それでもなんだかよどむ。こう、うまく流れないところがある。高橋さんは学者で、矢川さんは詩をかく人だけど、こういう人は自分でいっしょうけんめい考えたりものを書いたりするのがおしごとだ。だから本や紙とばっかりにらめっこをしている。それで、よのなかの人のふつうのしゃべりかたとかは、あんまり知らなかったりする。口にだしたときのひびきと、字に書いて目にみたときの感じとでは、字に書いた方をだいじにしちゃったりする。なーんてことおもって首をかしげてるより、自分で気がすむように訳したほうがはやい。それで訳しちゃった。 それに、この人たちの訳は、コピーしてお友だちにあげたりしてはいけないんだ。おもしろいな、と思って人にメールで送ってもだめ。この人たちは(ぼくもだけれど)自分が書いたものについて、ちょさくけん、というものを持っている。これははたみたいなもので、「これはわたしがオッケーといわないと人にみせたりあげたりしちゃダメですよ」と書いてあるんだ。だからきみたちがこの人たちの文を勝手に人にあげると、この人たちがそのはたをパタパタとふる。するとそれを見て、おまわりさんがくることになっている。こっそりやればたぶんわからないけれど、でもだからといってやっていいわけではない。
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