「アリス」もそれと同じだ。ときどきみんなが、ふと考えて、そのままわすれてしまうような変なおもいつきが、ここにはいっぱい入っている。それでぼくたちは、それになんか意味があるように思ってしまう。でも、ほんとはそんな意味はないのかもしれない。そんなものを考えても、しょうがないのかもしれない。そしていろいろ考えて「わかった!」と思っても、ほんとにそれが正しいかどうかはわからない。夢と同じで、あなたがそういうものをかってに頭の中で作っちゃっただけかもしれない。そしてルイス・キャロルはもう死んじゃってるし、だからきくわけにもいかないので、それはいつまでたってもわからないままだ。 ルイス・キャロルも、たぶんわからなかったんだろう。夢をなんとなく見るのと同じで、これもなんとなく書いちゃったんだろうと思う。あるいはときどき、なんだかみょうに調子よくじょうだんをポンポン思いつくことがあるだろう。それと同じで、キャロルも調子がよかっただけなのかもしれない。調子がとってもよかったもんで、このあとルイス・キャロルはこのお話のつづきを書いた。それが『鏡の国のアリス』だ。これは、この『不思議の国のアリス』の3.1415倍くらいへんてこで、不思議で、わけのわからない、でも(いや、だからこそ)おもしろくてすてきなお話なんだ。これはそのうちまたぼくが訳すけど、時間はこれよりずっとかかるだろう――いやどうかな、ぼくの調子が出たら、あんがいすぐできるかも。 そしてそれにつづいて、キャロルは『スナーク狩り』という詩を書いた。これまたわけのわからないじょうだんだらけの、とってもおもしろい詩だ。このときもキャロルは、まだ調子がよかったんだ。 だけどそのあとでキャロルが書いたのが『シルヴィーとブルーノ』『シルヴィーとブルーノ完結編』というお話だった。ながくて、お説教くさくて、イマイチだ。ところどころ、おもしろい部分もないわけじゃない。でも、この「アリス」みたいなおもしろさはない。キャロルでさえ、自分がなぜこんなおもしろいものが書けたか、わかってなかったんだろう。そして、急に調子が悪くなっちゃったんだろう。それでも、この二つの「アリス」だけで、ルイス・キャロルはたぶんこの先何百年も、わすれられることはないはずだ。
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