われわれの一人一人全員がそれぞれの方法で、自分自身や家族にではなく、隣人やわれわれの国に個人的に責任を負わなければならない。われわれのもっとも価値のある責任は、新しい世紀のための新しいコミュニティの心をもつことである。後を継ぐわれわれの誰でも、一つのアメリカとして後を継がなければならない。 われわれの過去の挑戦は、将来の挑戦でもある。一つの共通の運命を背負った一つの国、一人の国民となれるだろうか? 共に歩めるだろうか、それとも別々に歩むのだろうか? 人種の分離は、アメリカの絶えざるわざわいの元となってきた。そして新しい移民の波のそれぞれが、古い偏見の新しい的となっている。偏見とさげすみは、宗教や政治的な信念のふりをして覆い隠そうとも、なんの違いもない。偏見やさげすみの力は、過去においてわれわれの国をほとんど滅ぼすところだった。そしてそれらは世界中のひびの入った国々で何百万もの生命を痛めつけている。 そのような強迫観念は、憎むもの、そしてもちろん憎まれるものの両方にとって足かせとなる。両方から、かれらがもっている可能性を奪うのだ。われわれはどこでも、魂の奥深くにうずまく邪悪な衝動に駆られてはならないし、駆られるべきでもない。それらを克服しなければならない。そして邪悪な衝動を、家庭にいるときにお互いが感じるような寛大な気持ちで置きかえるべきなのだ。
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