No.56

そして リフレクティングプール を超えてリンカーン記念堂の荘厳な柱がある。だれでもアブラハム・リンカーンの人生にアメリカの真の意味が見出されることは、心から理解できるだろう。

英雄のモニュメントをこえるとポトマック川がある。その対岸には、アーリントン国立墓地のなだらかな丘があり、そのシンプルな白い目印が十字架やダビデの星をささえ、列をなしている。それらは結局のところ、われわれの自由に支払われた代償のほんの一部分にすぎない。

その目印のどの一つをとっても、私が先ほど話したようなヒーローのモニュメントである。その命は ベローの森 や アルゴンヌ , オマハビーチ , サレルノ そして地球の反対側のガダルカナル、 タラワ 、 ポーク・チョップ・ヒル、長津湖、 そしてベトナムという場所での何百の水田やジャングルで失われた。

その一つの目印には一人の若い命が眠っている、マーティン・トレップロウ、 1917 年に小さな町の床屋の仕事をなげうって、名高い レインボー師団 でフランスに渡った男だ。西部戦線で、彼は砲弾の飛び交う中、大隊の間を一つの伝言をとどけようとして命を落とした。

われわれは彼が日記を携帯していたことを聞いている。本の余白ページには「私の誓約」という表題の下にこう書かれていた。「アメリカはこの戦いに勝たなければならない。そのために僕は戦い、倹約し、犠牲をはらい、耐え、勇気をもって戦い、そして、全ての苦しさの原因は僕自身にあるかのように最善をつくすこと」


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