No.25

自由の本質とは、われわれ一人一人が自分自身の運命を形づくることに加わるということです。

自分より大きな大義の一部分でなければ、その人は決して本当に完全とはいえないのです。

成し遂げるには、われわれの才能を利用しなければなりません。われわれは、才能の利用を促進する精神の高潔さを持つようにしよう。

われわれがなしとげられることを評価するために、われわれは出来るとわかっていることだけを約束しよう。ただ目的の大まかな計画をえがき、夢をみることによりわれわれの気分は高揚するだろう。

誰一人、隣人が自由でないあいだは、完全に自由とはいえない。完全に前進するということは、ともに前進することである。

これは、白人と黒人が二つではなく一つの国として手をとりあうことも意味している。法律がわれわれの良心に追いついてくるのです。残っているのは、法律の中にあるものに生命をふきこむことです。それは最終的には、神の前で尊厳において生まれながらにして平等であると同時に、人の世でも尊厳において生まれながらに平等であることを保証することなのです。

われわれが本国においてともに前進するということを学べば、全人類においても、ともに前進することを模索できるでしょう。

これをわれわれの目的としよう。平和がないところで、平和が歓迎されるようにしよう。平和がもろいところで、平和を強固なものとしよう。平和が一時的なところで、平和が永遠のものとしよう。

 

 


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